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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(オ)655号 判決 1975年12月08日

主文

被上告人の本訴請求中上告人に対し金九三万一一八八円及びこれに対する昭和四三年一月一三日からその支払ずみに至るまで年六分の割合による金員の範囲を超えて支払を求める部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。

前項の部分に関する被上告人の請求を棄却する。

その余の部分に関する上告人の上告を棄却する。

訴訟の総費用は、これを三分して、その一を上告人の、その余を被上告人の負担とする。

理由

上告代理人山田作之助の上告理由第三点について

金銭債務の債務者は、その履行期を徒過した以上、たとい右債務の支払のために債権者に対し手形を振り出し交付した場合であつて債権者がその返還をしないときでも、右原因債務につき履行遅滞の責を免れるものではない(最高裁昭和三九年(オ)第三七一号同四〇年八月二四日第三小法廷判決・民集一九巻六号一四三五頁)。所論は、独自の見解に基づき原判決を非難するものであつて、採用することができない。

同第六点について

原審が適法に確定した事実関係のもとにおいては、被上告人が訴外有限会社産機設計工業所(以下「訴外会社」という。)から同会社の上告人に対する二六一万四〇〇〇円の売掛債権の譲渡を受けたことをもつて信義則に反する違法なものであるとすることはできない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第一点、第二点、第四点及び第五点について

原審が適法に確定した事実は、次のとおりである。すなわち、訴外会社は上告人に対し、弁済期昭和四二年一二月三日、金額二六一万四〇〇〇円の売掛債権(以下「本件売掛債権」という。)を有し、上告人は、右売掛債務支払のために、同年七月三日金額を右同額、満期を同年一二月三日とする約束手形(第一審判決約束手形目録(1)の手形、以下「本件約束手形(1)」という。)を訴外会社に宛てて振り出し、これを訴外会社の取締役兼従業員であつた被上告人に交付した。他方、上告人は、訴外会社に対し、同会社が上告人に宛てて振り出し交付した第一審判決約束手形目録(2)ないし(18)の手形一七通、金額各一〇万円、合計一七〇万円の約束手形債権(以下「本件手形債権」という。)を有していたが、訴外会社が、昭和四三年一月一三日倒産し、本件手形債権につき期限の利益を喪失したため、その弁済期は同日到来した。ところが、被上告人は、本件約束手形(1)を紛失したので、昭和四二年八月五日訴外会社に対し右手形金相当額を弁償し、その代償として同年九月一四日訴外会社から本件売掛債権の譲渡を受け、訴外会社は同日上告人に対し右債権譲渡の通知をし、その頃右通知は上告人に到達した。その後昭和四三年六月三日訴外会社は本件約束手形(1)につき除権判決を得た。そして、被上告人が上告人に対し、本件売掛債権及びこれに対する遅延損害金の支払を求めて提起した本訴第一審第二回口頭弁論期日(同年七月二四日)において、上告人は本件手形債権をもつて被上告人の本訴請求債権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

本件における問題点は、右相殺の許否であるが、原審の確定した以上の事実関係のもとにおいては、上告人は、本件売掛債権を受働債権とし本件手形債権を自働債権とする相殺をもつて被上告人に対抗しうるものと解すべきである。そして、本訴当事者が弁済の充当をしたことは原審の確定しないところであるから、民法五一二条及び四九一条により、本件手形債権は、先ず本件売掛債権二六一万四〇〇〇円に対する昭和四二年一二月四日から昭和四三年一月一二日までの年六分の割合による遅延損害金一万七一八八円に充当され、その残額一六八万二八一二円が本件売掛債権に充当されたものというべきである。したがつて、被上告人の上告人に対する本訴請求は、金九三万一一八八円及びこれに対する昭和四三年一月一三日から商事法定利率である年六分の割合による損害金の支払を求める限度において正当として是認すべきであり、その余は失当としてこれを棄却すべきものである。

しかるに、原判決は、上告人は本件手形債権を自動債権とする相殺をもつて被上告人に対抗しえない旨判示し、これと同旨の第一審の判断を是認しているが、右は、民法四六八条二項の解釈適用を誤つたものというべきであり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の違法をいう論旨は理由があり、一、二審判決中上告人に対し金九三万一一八八円及びこれに対する昭和四三年一月一三日から年六分の割合による金員の範囲を超えて被上告人の本訴請求を認容した部分は、破棄又は取消しを免れず、右部分に関する被上告人の請求は棄却すべきであり、また、その余の部分に関する上告人の上告は理由がないので、これを棄却すべきである。

よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九二条に従い、裁判官岸盛一、同岸上康夫の補足意見、裁判官藤林益三、同下田武三の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

裁判官岸上康夫の補足意見は、次のとおりである。

(一)  金銭債権が譲渡されその債務者が譲渡通知を受けたに止まる場合において、債務者が譲渡通知を受ける前に譲渡人に対して金銭債権を取得していたとき、その弁済期が、被譲渡債権のそれより後であつて、かつ、右譲渡通知のあつた時点より後に到来するものでも、被譲渡債権の債務者が、右事実をもつて民法四六八条二項所定の「通知ヲ受クルマテニ譲渡人ニ対シテ生シタル事由」にあたるものとして、譲受人に対し、被譲渡債権を受働債権とし、自己が譲渡人に対して有する債権を自働債権としてする相殺をもつて対抗しうるかどうかは、相殺制度の目的及び機能、同条同項の立法趣旨並びに被譲渡債権の債務者及び譲受人の利害関係等を考慮して決すべきものである。ところで相殺の制度は、互いに同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務を簡易な方法によつて決済し、もつて両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的な制度であつて、相殺権を行使する債権者の立場からすれば、受働債権につきあたかも担保権を有するにも似た地位が与えられるという機能を営むものであるから、この制度によつて保護される当事者の地位は、できるかぎり尊重すべきであることは、最高裁判所昭和三九年(オ)第一五五号同四五年六月二四日大法廷判決・民集二四巻六号五八七頁の判示するところである。そして、この判決は、債権が差し押えられた場合に第三債務者に対し有する反対債権をもつてした相殺の効力に関する民法五一一条の解釈を示したものであるが、右法条にいう差押債権者と債権護渡の場合に関する同法四六八条二項にいう債権の譲受人とは、いずれも当該債権の権利としての積極的利益の取得者であつて両者は実質的に異なる立場にあるものではなく、また、債務者は債権が差し押えられた場合と譲渡された場合とにおいて別異な取扱を受くべき理由はないから、右判決によつて示された相殺制度の目的及び機能からする相殺権者の保護の要請は、被差押債権の債務者についてのみでなく、被譲渡債権の債務者についてもひとしく妥当するものというべきである。また、民法四六八条二項の立法趣旨は債務者の意思に関係なく行われる債権譲渡により債務者の地位が譲渡前より不利益になることを防止することにあると考えられるところ、債権者のした債権譲渡によつて、債務者が相殺をなしうべき地位を失うことが債務者にとつて不利益であることは前示相殺制度の目的及び機能に徴し明らかであるから、債務者が、債権譲渡の通知を受けた時点において、債権者に対し法律上相殺に供しうる反対債権(自働債権)を取得しているときには、これをもつて同条項にいう「通知ヲ受クルマテニ譲渡人ニ対シテ生シタル事由」にあたるものとして、譲受人に対抗することができるものと解するのが相当である。したがつて叙上民法の規定及び大法廷判決の趣旨に鑑みるときは、債権の譲渡があつた当時債務者が譲渡人に対し反対債権を有する以上、たとえ反対債権の弁済期が、被譲渡債権のそれより後であつて、かつ、債権譲渡通知のあつた時より後に到来すべきものであつても、債務者は、両債権の弁済期が到来したときには、譲受人に対し、反対債権による相殺を主張しうるものというベきである。

もつとも、以上のように解すると、指名債権の取引の安全を害し、その譲受人の保護に欠けるおそれがあるとの意見があるが、民法は、四六八条一項により、債務者が、債権譲渡を異議なく承諾したときには、譲渡人に対して主張しえた事由をもつて譲受人に対抗しえないものとし、また、同条二項により、債務者が債権譲渡の通知を受けた後に譲渡人に対して生じた事由、本件に即していえば右通知後に譲渡人に対し取得した反対債権による相殺をもつて、譲受人に対抗することはできないものとし、右の限度においてのみ、指名債権の取引の安全と譲受人の利益をはかろうとしたに止まるものと解すべきである。

叙上の解釈に照らせば、本件において、上告人は、本件売掛債権の譲渡通知を受けた当時、右債権の譲渡人である訴外会社に対し本件手形債権を取得していたのであるから、本件売掛債権を受働債権とし本件手形債権を自働債権とする相殺をもつて被上告人に対抗しうるものというべきである。

(二)  藤林裁判官は、民法五一一条の法定相殺に関し、前掲昭和四五年六月二四日大法廷判決の見解に反対し、最高裁判所昭和三六年(オ)八九七号同三九年一二月二三日大法廷判決・民集一八巻一〇号二二一七頁の見解をもつて正当とする旨論ぜられ、民法四六八条二項の解釈にあたつても、右昭和三九年判決の線をもつて妥当とするとされているが、同法五一一条の法定相殺に関する私の意見は、前記昭和四五年六月二四日大法廷判決における多数意見及び岩田裁判官の補足意見と同一であるから、これを明らかにするにとどめておきたい。

裁判官岸盛一は、裁判官岸上康夫の補足意見に同調する。

裁判官藤林益三の反対意見は、次のとおりである。

私は、上告理由第一点、第二点、第四点及び第五点について、多数意見と見解を異にし、本件上告は棄却さるべきものと思料するので、その理由を述べることとする。

私は、最高裁判所昭和三九年(オ)第一五五号同四五年六月二四日大法廷判決・民集二四巻六号五八七頁(以下、四五年判決という)によつて、あまりに広く相殺が認められるようになつたことに、かねて疑問を有していたところ、本件は右大法廷事件と必ずしも事案を同じくせず、したがつてまた、本件多数意見も右判例の趣旨に従つていることを明示していないが、実質はその趣旨を取り入れているように解されるので、私の思うところを明らかにしておきたい。

本件が右大法廷事件と事案を異にする主要なところは、次の二点であろうと思われる。先ず、右大法廷事件は旧国税徴収法(昭和三四年法律第一四七号による改正前のもの。)による債権の差押、取立事案であつたが、本件は債権譲渡事案であるから、債権の帰属主体の変動の有無についての差異があるばかりでなく、一方は差押という強制手段によるものであるのに対し、他方は通常の取引によるものであるという違いがあり、判断の拠るべき法律の規定も、民法五一一条と四六八条二項というように、異なることである。次ぎに、大法廷事件は銀行と取引先との間に生じた債権債務に関する事案であつたが、本件は通常の取引から生じた債権債務に関するものであるゆえに、継続的商取引から生じた一方の債権が他方の債権の担保的機能を営まなければならないというような要請もなく、また、相殺に対するいわゆる正当な期待利益というようなものも存しないということである。

右のような相異があるから、必ずしも右大法廷判例に対する異見を持ち出すまでもなく、私の結論を導き出すことができるかもしれないが、この際、右判例に対する私の考えを述べておくことは必要と思われる。

私は、銀行と取引先との間においては、被差押債権である預金債権と反対債権である貸付債権とが、相殺適状になつて銀行から相殺できる場合は、最高裁判所昭和三六年(オ)第八九七号同三九年一二月二三日大法廷判決・民集一八巻一〇号二二一七頁(以下、三九年判決という。)が適切に判示するように、「差押当時両債権が既に相殺適状にあるときは勿論、反対債権が差押当時未だ弁済期に達していない場合でも、被差押債権である受働債権の弁済期より先にその弁済期が到来するものであるとき」に限られるべきものと思う。そして、預金者の一般債権者から銀行が防御する手段は、四五年判決によつて認められた相殺予約又はその後の最高裁判所昭和四二年(オ)第九〇〇号同四五年八月二〇日第一小法廷判決・裁判集民事一〇〇号三三三頁によつて認められた貸付債権の期限利益喪失約款によれば足りると考えるのである。

前記のように、四五年判決は銀行関係の事件について判断を示したものであるが、私は、この判決の法定相殺の要件に関する説示はいささか広きに過ぎるおそれがあるものと感じていたところ、本件事案の判断をするにあたつて、そのおそれが具体化したように思われてならない。すなわち、金融機関が当事者でない場合、相殺予約が存しない場合、もしくは、債権の発生、対立そのものが偶発的な場合、例えば、自働債権が不法行為に基づく損害賠償請求権であるとか、不当利得返還請求権であるとかいうような場合にまで、右判例は推及されるおそれがある。そこで、これに対しては、差押債権者と反対債権者との利益衡量の見地から、歯止めをかける必要があると思う。

また、本件を考えるにあたつては、前記のように、右大法廷判決は差押、取立事件についてされたものであり、本件は債権譲渡に関する事案であることを念頭におかなければならないが、私は、債権の仮差押、差押、取立命令の場合と債権譲渡、転付の場合とでは、これを分けて考察すべきものと思う。すなわち、仮差押、差押は、被差押債権について民法五一一条による債権対立の必要的最終時点を画するだけのものであるし、取立命令は、被差押債権について権利主体を変えることなく、被差押債権の代位取立を可能にさせるだけのものである。したがつて、取立命令の場合だけに限つていえば、四五年判決が示した判断は、私にも理解できないではない。しかし、これを債権譲渡と強制的債権譲渡である転付の場合にまで拡げていくことに、私は賛成することがとができない。民法四六八条二項の「其通知ヲ受クルマテニ譲渡人ニ対シテ生シタル事由」の中に相殺事由をどの程度まで含ませるかは、利益衡量の問題にならざるを得ないが、三九年判決の線をもつて妥当と考える。そして、債権譲渡の通知又は転付命令の送達時に相殺適状にあるか、反対債権の弁済期が譲受債権の弁済期前に到来する関係にある場合には、譲渡された債権の債務者は、相殺をもつて債権譲受人又は転付債権者に対抗しうるが、これとは反対に、譲受債権の弁済期が反対債権の弁済期よりも先に到来する関係にある場合には、相殺を主張しえないものと考えるのである。

このような考え方で本件をみると、被上告人は昭和四二年九月一四日訴外会社から弁済期同年一二月三日の本件売掛債権の譲渡を受け、訴外会社は同日上告人に対し右債権譲渡の通知をし、その頃右通知は上告人に到達したというのであり、上告人の訴外会社に対する本件手形債権の弁済期は、昭和四三年一月一三日訴外会社の倒産による期限利益喪失により、同日到来したというのであるから、債権譲渡の通知当時には両債権はいずれも弁済期未到来で相殺適状にはなく、また、被上告人の譲受債権である本件売掛債権の弁済期は、上告人の反対債権である本件手形債権の弁済期よりも先に到来する関係にあつたのであるから、上告人は被上告人に対し相殺を主張しえないものと解するのほかはない。

なお附加して述べておきたいことがある。相殺を広く認めると、反対債権の弁済期が譲受債権の弁済期よりも後に到来する関係にある場合に、不誠実な反対債権者が自己の債務の履行を遅らせておいて、相殺適状を到来させてから相殺を可能にするという不都合な事態を生じさせることがあるとの非難は、従来から存するところであり、私もこれに同感である。これに対し、このような場合には、事情により信義則、公序良俗違反あるいは相殺権の濫用として相殺が無効になり、ときには相殺の抗弁の提出が民訴法一三九条の時機に遅れた防御方法とせられて却下されることとなるであろうという議論がある。しかし、このように一般条項を持ち出さなければ救済できないような事態が生じることを見越してまで法定相殺の要件を緩和する必要はない。しかも、この一般条項の要件事実の主張、立証が譲受債権者又は転付債権者の責任においてされるべきものとなるのは公平でなく、また、実務上、この主張、立証責任の負担が訴訟当事者にとつて軽易なものでないことは明らかであるから、さらにその感を深くするのである。

以上のごとく、被上告人の本件売掛債権の請求に対する上告人の本件手形債権をもつてする相殺の主張は、理由のないことが明らかであり、これと同趣旨の原審の判断は、正当として是認すべきものである。よつて本件上告はこれを棄却すべきものである。

裁判官下田武三は、裁判官藤林益三の右反対意見に同調する。

(裁判長裁判官 団藤重光 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫)

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